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東京地方裁判所 昭和63年(行ウ)104号 判決

東京都新宿区大久保一丁目一番六号

原告

山野彰英

右訴訟代理人弁護士

小杉丈夫

内田公志

松尾翼

東京都新宿区北新宿一丁目一九番三号

被告

新宿税務署長

河村修司

右訴訟代理人弁護士

竹田穣

右指定代理人

星野雅紀

小野雅也

浪川武

軽部勝治

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和六二年一月三一日付けでした原告の昭和五八年分所得税の更正及び過少申告加算税賦課決定(ただし昭和六二年四月二八日付け更正及び変更決定により減額された後の部分)のうち、総所得金額三〇三九万四八六四円、納付すべき税額三〇二万八七〇〇円、過少申告加算税額二万六〇〇〇円を越える部分を取り消す。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

請求原因

1  原告の昭和五八年分所得税に係る課税処分等の経緯は別表一記載のとおりである。

2  別表一の更正・賦課決定欄記載の更正(ただし同表の更正・変更決定欄記載の更正により減額された後の部分。以下「本件更正」という。)のうち、総所得金額及び納付すべき税額が同表の異議申立て欄記載の各金額を超える部分は、原告の総所得金額を過大に認定した違法があり、これを前提とした同表の更正・賦課決定欄記載の過少申告加算税賦課決定(ただし、同表の更正・変更決定欄記載の変更決定により減額された後の部分。以下「本件賦課決定」という。)のうち、同表の異議申立て欄記載の金額を超える部分も違法である。

3  よつて、原告は、本件更正及び本件賦課決定のうち、総所得金額三〇三九万四八六四円、納付すべき税額三〇二万八七〇〇円、過少申告加算税額二万六〇〇〇円(いずれも別表一の異議申立て欄記載の金額)を超える部分の取消しを求める。

二 請求原因に対する認否

請求原因1の事実は認め、同2、3は争う。

三 被告の主張

1  原告の昭和五八年分の総所得金額

(一)  不動産所得(損失) △九五万六三七五円

(二)  給与所得 三一三五万一二三九円

(三)  譲渡所得 二億五七八一万八六一三円

(1) 本件株式譲渡

所得税法九条一項一一号(昭和六三年法律第一〇九号による改正前のもの。以下同じ。)は有価証券の譲渡による所得のうち、同号掲記の所得以外のものについては所得税を課さないとしていたが、租税特別措置法(昭和六二年法律第九六号による改正前のもの。以下同じ。)三七条の一〇第一項一号及び同法施行令(昭和六二年政令第三三三号による改正前のもの。以下同じ。)二五条の八により、同一銘柄の株式をその年において二〇万株以上譲渡した場合のその譲渡による所得については所得税法九条一項一一号の規定の適用がないとされる結果、右の譲渡に該当する株式の譲渡益は所得税の課税の対象とされる(以下「本件課税の特例」という。)ところ、原告は、昭和五八年中に日本レース株式会社(以下「日本レース」という。)の株式合計三八万一〇〇〇株を別表四及び五記載のとおり譲渡(以下「本件株式譲渡」という。)した。

(2) 譲渡収入金額 三億四二二八万六〇〇〇円

本件株式譲渡による収入金額は、別表四の譲渡によるものが二億三七七三万円、別表五の譲渡によるものが一億〇四五五万六〇〇〇円で、合計三億四二二八万六〇〇〇円である。

(3) 取得費 八一〇六万一五六〇円

右金額は、別表七の順号11の欄のとおり算出した一株当たりの取得価額二一二円七六銭に本件株式譲渡に係る株式の総数三八万一〇〇〇株を乗じて算出したものである。

(4) 譲渡費用 二九〇万五八二七円

右金額は、別表四及び五の委託手数料と有価証券取引税との合計額である。

(5) 特別控除額 五〇万円

右金額は、所得税法三三条三項及び四項に規定する特別控除額である。

(6) 譲渡所得の金額 二億五七八一万八六一三円

右(2)ないし(5)の金額に基づき所得税法三三条三項により本件株式譲渡による譲渡所得を計算すると、(2)の譲渡収入金額から(3)の取得費及び(4)の譲渡費用を控除した二億五八三一万八六一三円が譲渡益となり、右の譲渡益から(5)の特別控除額を控除した二億五七八一万八六一三円が譲渡所得となる。

(四) 総所得金額 二億八八二一万三四七七円

右(一)ないし(三)の各種所得金額を合算して原告の昭和五八年分の総所得金額を算出すると、二億八八二一万三四七七円となる。

2  別表五の株式譲渡について

原告は、後記五(原告の反論)のとおり、別表五の株式を取得して、これを譲渡したのは原告の妻である山野功子(以下「功子」という。)であり、その譲渡による所得も功子に帰属するものであつて、原告が昭和五八年中に譲渡した日本レースの株式は別表四の一九万六〇〇〇株にすぎないから、本件課税の特例の適用はないと主張する。しかし、別表五の株式を取得してこれを譲渡したのは、以下の(一)ないし(五)の理由により原告であるものと認めるべきである。

(一)  原告は、後記五(原告の反論)のとおり、別表五の譲渡株式は、功子がその通称である山野敬子名義で別表三のとおり取得した株式の一部であると主張するが、別表二の株式は自己が取得したものであることは認めているところ、別表二及び三の株式の各取得に要した総額一億四一六〇万円の資金は、全額原告が自己が代表取締役をしていた株式会社ヤマノビユーテイメイト(以下「YBM」という。)及び山越美化学工業株式会社(以下「山越美化学」という。)から取得株式を担保に年利五パーセントで借り受けたものである。

(二)  別表三の株式の取得の際の有価証券売買約定書の作成や取得株式の名義書換えのために証券代行機関に提出された株主票の作成等についての具体的な手続は、原告の指示によりすべてYBMの経理担当者小川篤子(以下「小川」という。)が行つたもので、功子はこれに関与しておらず、取得された株式も功子の手には譲らないで、YBMの銀行からの借入金の担保に供されていた。

(三)  原告は同一銘柄で二〇万株未満の株式の譲渡による譲渡益が当時の税法上非課税となることを知つていたところ、別表五の株式譲渡のうち、順号6の譲渡は山野敬子名義で行われたが、その余の譲渡については小川外三名の名義が使用されており、また、順号3の譲渡は、塚田喜久名義の口座を使用して昭和五八年八月五日に行われた二万株の譲渡を、原告が行つた別表四の順号1の譲渡と、一万株ずつの二つの譲渡に振り分けたものである。

(四)  別表五の株式譲渡代金の手取額の処分及び経理処理の状況は、別表六のとおりである。すなわち、別表五の順号1の株式譲渡代金の手取額は、別表六の順号1ないし3のとおりすべて原告の普通預金口座に入金され、しかもそのうちの二口は小川によつて振り込まれており、また、別表五のその余の株式譲渡代金の手取額は、その全額がYBMに入金された後、YBMにおいて、一部は功子が原告からの借入金(後記本件貸付金)の返済資金にあてるためYBMから借り入れたとする三四〇〇万円の返済として、残余の部分はYBMの預り金等として、経理処理がされており、いずれも実質的に功子に帰属したものとは認められない。

3  本件更正の適法性

原告の昭和五八年分の総所得金額は、右1の(四)に述べたとおり二億八八二一万三四七七円であり、本件更正における総所得金額はこれを下回るものであるから、本件更正は適法である。

4  本件賦課決定の適法性

原告は、本件更正により、申告による納税額に加えて一億八八七七万円(国税通則法一一八条三項により一万円未満切捨て)の所得税を納付すべきことになるところ、国税通則法(昭和六二年法律第九六号による改正前のもの。)六五条一項に基づき右金額に一〇〇分の五の割合を乗じて過少申告加算税額を算出すると九四三万八五〇〇円となり、本件賦課決定はこれと同額であるから適法である。

四 被告の主張に対する認否

1  被告の主張1の(一)、(二)は認める。(三)は、(1)、(2)のうち、別表四の株式譲渡については認め、別表五の株式譲渡については原告が右譲渡を行つたものであること及びその収入が原告に帰属することは否認し、その余は認め、(3)ないし(6)は争う。(四)は争う。

2  同2の柱書きのうち、原告の主張の部分は認め、その余は争う。(一)及び(二)は認める。(三)は原告が同一銘柄で二〇万株未満の株式の譲渡による譲渡益が当時の税法上非課税となることを知つていたこと、別表五の株式譲渡の取引名義が主張のとおりであること及び別表四の順号1の譲渡を原告が行つたことは認め、その余は争う。(四)は別表五の株式の譲渡代金の手取額について、主張のような処分及び経理処理がされていることは認め、その余は争う。

3  同3、4は争う。

五 原告の反論

1  功子の株式取得の動機

YBMは、原告の母である山野愛子が設立した化粧品販売等を目的とする株式会社で、山野一族(山野愛子、その夫の治一、長男正義、次男凱章、三男原告、五男景章及び六男博敏の七名)の同族会社であり、他に関連会社として山野美容商事株式会社、有限会社モンプレーヌ研究所(昭和六三年六月一七日に有限会社ヤマノネツトワークに商号変更した。以下「モンプレーヌ社」という。)及び山越美化学などがあつた(以下、YBM及びその関連会社を総称して「山野グループ」という。)。

山野一族は、昭和五四年六月の親族会議において原告のYBMの代表取締役就任を決定したが、その際、原告は、功子を将来YBMの役員にすることと、山野グループ及び山野一族が日本レースを買収することを提案し、いずれも了承された。原告が功子の将来のYBMの役員就任を提案した理由は、従来、山野グループの中核であるYBMの役員は、山野愛子の血族で占められていたが、美容、化粧品業界ということもあるので今後原告が事業を展開して行く上で女性役員が必要であると判断したからであり、日本レースの買収は山野グループの生産力を増強するためであつた。

そこで、山野グループ及び山野一族は日本レースの株式の取得を開始し、その際、功子も別表三のとおり三〇万株を取得したが、功子が株式を取得した理由は、右に述べたとおり将来のYBMの役員就任が予定されていたことと、功子は、モンプレーヌ社の取締役で同社の二〇パーセントの株式を保有していた(残りの八〇パーセントは原告が保有)ところ、それまでYBMが販売していた化粧品は山越美化学がモンプレーヌ社から技術供与を受けて生産していたもので、山野一族が日本レースの経営権を取得した後はモンプレーヌ社から日本レースに技術供与の上日本レースで化粧品製造をする計画であつたためである。

なお、株式取得の際の売買契約書の作成等具体的な事務処理は小川が担当したが、これは他の親族の取得分についても同様である。

2  株式の取得資金

功子は別表三記載の株式取得当時まだYBMの株主でも役員でもなかつたので、原告は自己の取得資金と合わせてYBM及び山越美化学から利息年五パーセントの約定で合計一億四一六〇万円を借り入れ、その中から功子に対し同人の株式取得金を貸し付けた。

すなわち、原告は、昭和五四年九月三日にYBMから七九二〇万円を借り入れ、うち三九六〇万円を同日売買決済となる別表二の順号1の日本レース株の取得資金に充てるとともに、同日功子に対し別表三の順号1の日本レース株二〇万株の取得資金として同額の金員を貸し付けた。また、同年一〇月一二日にYBMから二七四〇万円を、山越美化学から三五〇〇万円をそれぞれ借り入れ、そのうち四一六〇万円を同日決済となる別表二の順号2ないし4の日本レース株計二〇万株の取得資金に充てるとともに、同日功子に対し別表三の順号2、3の日本レース株計一〇万株の取得資金として二〇八〇万円を貸し付けた(以下、原告から功子に対する合計六〇四〇万円の右各貸付けを「本件貸付け」、右貸付けに係る金員を「本件貸付金」という。)。

なお、本件貸付けは夫婦間で行われたものであり、また、功子は、当時モンプレーヌ社の役員になつていただけでさしたる収入がなかつたので、担保の設定並びに利息及び弁済期の定めはしなかつた。

3  株式売却の理由

山野グループ及び山野一族は日本レースの買収に成功し、日本レースの業績も順調であつたところ、昭和五八年になつて株式会社三洋興産が日本レースの株式を買い占めた上、同年春から夏にかけて山野グループに対し高価での買取りを申し入れてきたので、原告らは親族会議において右の申入れを検討した結果、日本レースから撤退することを決定し、山野一族が保有する株式については各々が適宜売却することになり、原告及び功子も昭和五八年中においてはそれぞれ別表四、五のとおり売却するに至つたものである。

別表五の株式譲渡が順号6を除いて他人名義で行われているのは、株式の売抜けを狙つたものであるため、市場での売買においては山野グループの関係者であることをうかがわせる名義は使用できなかつたためであり、この点は原告が行つた別表四の株式譲渡についても同様である。

4  本件貸付金の返済

功子の本件貸付金の返済経過は別表八記載のとおりであり、三四〇〇万円については昭和五五年三月一三日にYBMから同額を利息年五パーセントの約定で借り入れて原告に返済し、右のYBMからの借入金及び本件貸付金の残額の一部については別表六記載のとおり別表五の株式の譲渡代金によつて返済し、その余の本件貸付金の残額は、昭和五六年六月から昭和五九年一一月までの三年六か月間山越美化学からの自己の給与所得の手取額を毎月原告の口座に振り込む方法により本件貸付金の返済をした。

5  被告の自認

東京国税局の調査官である緑川主査は、昭和六一年に行つたYBMの税務調査において、山野グループがキング工業株式会社(以下「キング工業」という。)の株式を買収した際に原告及び功子がその株式を額面額(五〇円)で取得しその後YBM自体も第三者割当の形式で一株一四四円で資本参加したことに関し、原告及び功子が取得した株式は一旦YBMが額面額で購入したものを原告及び功子に対し一株一四四円で売却したものであると認定し、YBMはやむなく右認定に従つた修正申告に応じたが、同主査は、功子に右の差額を追加払いさせる方法として、功子名義で取得した日本レースの株式の売却代金がYBMの経理上預り金として残つていることを知つた上で、そこから功子に追加払いさせるようにYBMに対して指導した。したがつて、日本レースの株式が功子に帰属することは当時は被告も認めていたことである。

六 原告の反論に対する認否

1  原告の反論1のうち、功子の株式取得は否認し、その余は知らない。

2  同2のうち、原告のYBM等からの株式の取得資金の借入れは認め、本件貸付けの存在は否認する。本件貸付けについては、契約書が作成されていない上、原資がYBM等からの年利五パーセントの利息による借入金であるというのに、担保の設定や返済期限及び利息の定めもないというのであり、また、同時期に日本レースの株式を取得した原告の他の親族は、いずれもYBM等から直接その取得資金の貸付けを受けているにもかかわらず、功子だけが原告に貸し付けられた資金の中から更に貸付けを受けるというのは不自然であり、さらに、本件貸付金の金利の負担能力すらない功子が本件貸付けを受けてまで日本レースの株式を取得する合理的な理由はなく、原告が昭和五五年分ないし五八年分の所得税の確定申告において申告書とともに被告に提出した「財産及び債務の明細書」には本件貸付金は記載されていないことからしても、本件貸付けが真実存在するものでないことは明らかである。

3  同3の前段の株式売却の経緯のうち、功子に関する事実は否認し、その余は知らない。後段の主張は争う。

本件株式譲渡に使用された他人名義はいずれも山野グループの関係者のものであり、また、山野一族が本件株式譲渡当時取得していた日本レース株は五〇〇万株以上にのぼるところ、本件株式譲渡のうち市場を通じて行われた各譲渡は、せいぜい一万株程度を対象とするにすぎないから、売抜けに気づかれないようにするために他人名義を使用したとは考え難い。原告以外の名義の使用は本件課税の特例の適用を意識した名義の借用にすぎないというべきである。

4  同4は、主張のような経理処理がされていることは認め、それが真実本件貸付金の返済であることは否認する。原告主張の返済は、領収書等が全くない上に、返済額の合計が、本件貸付けは無利息であるというにもかかわらず、本件貸付金額を一八六万七九二三円も超過しており、極めて不自然なものである。山越美化学の役員報酬による返済も、功子が山越美化学の代表取締役に就任したのは原告が昭和五六年一月に薬事法違反の罪に問われて同社の代表取締役を退任したためであつて形式的なものにすぎないことが推認され、返済方法も役員報酬の手取額を原告の銀行口座に振り込むというもので、振込口座及び振込額は功子の代表取締役就任の前後で全く同一であることからすれば、原告のいわゆる付け替え給与であることさえうかがえる。

5  同5のうち、昭和六一年の税務調査の結果、YBMが、原告らが一株五〇円でキング工業の株式を取得したとしていた取引について、実はYBMが一株五〇円で取得したものを原告らに一株一四四円で譲渡したものであることを認めて右株式の譲渡益を加算する修正申告書を提出したことは認め、その余は争う。

第三証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるからこれを引用する。

理由

一  請求原因一(課税処分等の経緯)の事実は当事者間に争いがない。

二  被告の主張1(原告の昭和五八年分の総所得金額)のうち、(一)(不動産所得)、(二)(給与所得)及び(三)(譲渡所得)の(1)、(2)のうち、別表四の株式譲渡に係る部分並びに別表五の株式譲渡及びこれによる収入金額につき、その主体に関する点以外の、譲渡行為の存在自体及び収入金額となるべき金額自体については、当事者間に争いがない。

三  別表五の株式譲渡について

別表五の株式譲渡について、被告は原告がこれを行つたものであると主張するのに対し、原告は右主張を否認し、妻の功子がこれを行つたものであると主張するので、この点について判断する。

1  次の(一)ないし(四)の事実は当事者間に争いがない。

(一)  別表三の株式は、功子の通称である山野敬子名義で取得されているものの、その取得に要した資金については、それに原告が取得したことに争いのない別表二の株式の取得に要した資金を合せた総額一億四一六〇万円全額を、原告が自ら代表取締役をしていたYBM及び山越美化学から取得株式を担保に年利五パーセントで借り受けた。

(二)  別表三の株式の取得の際の有価証券売買約定書の作成や取得株式の名義書換えのために証券代行機関に提出された株主票の作成等についての具体的な手続は、原告の指示によりすべてYBMの経理担当者である小川が行つたもので、功子はこれに関与しておらず、取得された株式も功子の手には渡らないで、YBMの銀行からの借入金の担保に供された。

(三)  原告は同一銘柄で二〇万株未満の株式の譲渡による譲渡益が当時の税法上非課税となることを知つていたところ、別表五の株式譲渡のうち、順号6の二万株の譲渡は山野敬子名義で行われたが、その余の一六万五〇〇〇株の譲渡については小川外三名の名義が使用された。

(四)  別表五の株式譲渡代金の手取額の処分及び経理処理の状況については、別表六のとおりであり、別表五の順号1の株式譲渡代金の手取額は、別表六の順号1ないし3のとおりすべて原告の普通預金口座に入金され、また、別表五のその余の株式譲渡代金の手取額は、その全額がYBMに入金された後、YBMにおいて、一部は功子が本件貸付金の原告への返済資金としてYBMから借り入れたとする三四〇〇万円の返済として、残余の部分はYBMの預り金等として経理処理がされた。

2  別表四の順号1の譲渡を原告が行つたものであることは当事者間に争いがないところ、原本の存在と成立に争いがない乙第五ないし第七号証及び弁論の全趣旨によれば、別表五の順号3の譲渡は、塚田喜久名義の口座を使用して昭和五八年八月五日に譲渡された二万株の取引を、別表四の順号1の譲渡と、一万株ずつの二つの譲渡に振り分けたものであることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  右1、2の事実によれば、別表三の株式は、原告の取得した別表二の株式とともに、原告が自己が代表取締役を勤めるYBM等から借り受けて調達した資金によつて取得されたものであり、功子自身は、取得時及び取得後の名義書換えの手続に関与せず、また、取得された株式はYBMの銀行債務の担保に供され、さらに、その譲渡の際には、大部分について功子以外の者の名義が用いられ、その譲渡代金も原告個人ないし原告が代表取締役を勤めるYBMに入金されているのであるから、特段の事情の存しない限り、別表五の株式は、原告が取得してこれを譲渡したものと認めるのが相当である。

4  そこで、以下、原告の反論に基づいて右特段の事情の存否につき、検討する。

(一)  功子の株式取得の動機について

原告は、功子の日本レースの株式取得の動機として原告の反論1のとおり主張し、原告本人尋問の結果中には右主張に沿う部分がある。しかし、右主張は功子の株式取得の動機としてははなはだ抽象的なものであつて、右3の認定を覆すに足りない。

(二)  本件貸付けについて

原告は、別表三の株式は功子がその通称である山野敬子名義で取得したものであり、その取得資金は功子が右株式取得当時まだYBMの株主でも役員でもなかつたので、原告が自己の取得資金と合わせてYBM等から借り入れて功子に対し本件貸付けを行い、これをもつて功子の取得資金としたものであると主張し、成立に争いがない乙第一二号証並びに証人小川篤子の証言及び原告本人尋問の結果中には、昭和五四年八月に山野グループ及び山野一族が日本レースの株式を取得するに当たつて、原告からYBMの経理担当者である小川に対し、原告及び功子を含めた右株式を取得する山野一族の各人にYBMからその取得資金を貸し付けるための手続を指示した際、小川が右指示を取り違えて、功子に対する貸付金とすべき部分を原告に対する貸付金中に含めて貸付けを実行してしまつたので、昭和五五年三月にそれに気付いた原告は、やむなく、功子に係る部分を遡つて自己から功子に対する本件貸付金とした旨の、一部右主張に沿う部分が存在する。

しかしながら、他方、本件貸付けについて、担保の設定並びに返済期限や利息の定めもないことは原告の自認するところであり、前掲乙第一二号証、証人小川篤子の証言及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、本件貸付けについての契約書は作成されていないこと、原告が昭和五五年分ないし五八年分の所得税の確定申告において申告書とともに被告に提出した「財産及び債務の明細書」にも本件貸付金は記載されていないことが認められるところ、いかに原告と功子とが夫婦であるにせよ、原告がYBM等から年利五パーセントで借り入れた金員のうちの六〇四〇万円について真実本件貸付けが存在するとすれば、かかる取扱いは、いかにも不自然であるといわざるを得ない上、本来功子が負担すべき金利を原告が負担してまで、功子自身が日本レースの株式を取得すべき合理的な理由は、右(一)のとおり、これを見い出すことができないから、原告の主張に沿う前記各証拠は直ちにこれを信用することができず、他に、原告の主張を認めるに足りる証拠はない。

(三)  株式売却の理由について

原告は、功子の日本レースの株式売却の理由として原告の反論3のとおり主張するが、右主張事実は山野グループ全体に関するものであつて、功子固有の事情ではないから、別表五の株式譲渡が原告の行つたものであるとの右3の認定を覆すに足りない。

(四)  本件貸付金の返済について

原告は、本件貸付けが真実行われたものであることの根拠として、本件貸付金については別表八記載のとおり功子から原告へ返済されていると主張し、主張のような経理処理がされていることは当事者間に争いがない。

しかし、本件貸付けは前述のとおり無利息であるとされているところ、同表によれば、返済額の合計は貸付金額を一八六万七九二三円も超過しており、これは右の返済が真実貸付金の返済であるとすれば、不自然といわざるを得ない。

また、同表の順号2、3、9及び11記載の功子の山越美化学からの給料を原告の銀行口座に振り込んでしたとする返済についても、成立に争いがない乙第二二、第二三号証、原本の存在と成立に争いがない乙第二四号証に原告本人尋問の結果を総合すれば、功子は返済を開始したとする昭和五六年六月の直前に山越美化学の代表取締役に就任しているところ、これはそのころ原告が薬事法違反で逮捕されて罰金刑に処せられたために山越美化学の代表取締役を退かなければならなくなつたからであることが、また、原本の存在と成立に争いがない乙第一三号証、第一四号証の一ないし三、第一五号証の二、弁論の全趣旨により成立が認められる乙第一五号証の一によれば、昭和五六年六月より前においても、原告の口座には山越美化学から給料として同額の金員が振り込まれていたことがそれぞれ認められ、かかる事情に照らすと、功子の山越美化学の代表取締役就任及びその給与からの弁済はいずれも形式的なものにすぎず、その実質は功子の代表取締役就任の前後で何も変化はないことが推認できる。

したがつて、原告主張の本件貸付金の返済は、右(二)の本件貸付けの存否に関する判断を左右するものではない。

(五)  被告の自認について

原告は、昭和六一年のYBMの税務調査において、東京国税局の調査官が功子にキング工業の株式の取得代金を追加払いさせる方法として、YBMの経理上預り金として残つていた功子名義の日本レース株の売却代金を充てるようにYBMに指導したとして、被告が当時日本レース株が功子に帰属していたものであることを認めていたと主張する。

しかし、右のような指導があつたことを認めるべき証拠はなく、原告本人尋問の結果においてもYBMがそのような経理処理をしたのを被告が知つていたはずだというにとどまるから、右の主張も右3の認定を左右するものではない。

(六)  そうすると右3の認定を覆すに足りる特段の事情を認めることはできないから、別表五の株式譲渡は原告が行つたものと認められる。

四  本件更正及び本件賦課決定の適法性

弁論の全趣旨によれば、原告は別表二及び三の株式の取得以後本件株式譲渡前に別表七の順号3ないし14記載のとおり日本レースの株式を取得又は譲渡したことが認められ、この事実及び右二、三の事実に基づいて原告の本件株式譲渡による譲渡所得を計算すると、被告の主張1の(三)のとおり二億五七八一万八六一三円となつて、原告の昭和五八年分の総所得金額は被告の主張1の(四)のとおり二億八八二一万三四七七円となるところ、本件更正における総所得金額はこれを下回るものであるから適法であり、本件更正を前提とする本件賦課決定も適法である。

六  結論

以上によれば、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鈴木康之 裁判官 石原直樹 裁判官 佐藤道明)

別表一

課税処分の経緯

〈省略〉

別表二

原告が昭和54年中に取得した日本レースの株式の明細その1(原告自認分)

〈省略〉

別表三

原告が昭和54年中に取得した日本レースの株式の明細その2(原告は、功子が取得したものであると主張する分)

〈省略〉

別表四

原告が昭和58年中に譲渡した日本レースの株式の明細その1(原告自認分)

〈省略〉

別表五

原告が昭和58年中に譲渡した日本レースの株式の明細その2(原告は、功子が譲渡したものであると主張する分)

〈省略〉

(注) 別表四及び五の( )は、相対売買における譲渡人又は譲渡人の名義を表す。

別表六

別表五の譲渡による譲渡代金(手取額)の処分状況

〈省略〉

※1 譲渡代金1,475,000円から委託手数料17,487円、有価証券取引税、8,112円及び送金手数料400円を控除した残額である。

※2 当初はYBMの借入金としていたが、後日、預り金勘定に振り替えたものである。

別表七

1株当たりの取得価額の計算

〈省略〉

※1 135,531,600円=141,600,000円-(30,000株×202.28円)

※2 158,512,456円=135,531,600円+順号4から11までの取得価額の合計額 22,980,856円

別表八

山野功子が、原告に借入金を返済した明細

〈省略〉

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